「人のとらえ方は歴史や文化によって変わること」西洋哲学がスピリチュアルケアに与えた影響;二元論対ホリスティック(全人的、包括的)な健康観
西洋哲学がスピリチュアルケアに与えた影響
二元論対ホリスティック(全人的、包括的)な健康観
看護をするうえで、大切な「人間とは?」「健康とは?」を
考えてみましょう。
論文ちっくに書いてみました↓
ちょっと難しいかもしれませんが、看護学士レポートを書く上で
論文っぽく書く、方法も知る必要があります。
現代の医療の現場
現代の医療の現場で、中核となる考えは、心と体を切り離して考える二元論である。
看護を実践する上で重要となる西洋医学歴史をスピリチュアルケアの視点で考察する。
↑
(レポートを書く際にこの「〇〇の視点で考察していく。」というのは結構使える表現です。)
私は、グリーフケアと一緒に
大学院でスピリチュアルケアを専門にしているチャプレンの教授の元で学んでいたので
現代医学とスピリチュアルケア(←ちょっと怪しく聞こえちゃう)を絡めて書いてみました。
産業革命以前
人々は病気やケガに対して、薬草や手当・宗教的な儀式などにより癒していたが、
19世紀には近代西洋医学の発展により病気を病原菌など
生物学的過程により発生するものとする医学モデル(Bio-medical model)が主流になってきた
これは、人体を生物学的手法で客観的に観察することで、
病気などの異常を理解、治療するという考え方である。
つまり、医療の関心は人間から離れ、病因とその身体に限局されるようになる。
そして、人間を霊的な領域と身体的な領域に分離する
二元論dualismの眼差しとが人間に向けられるようになってきた。
科学技術や医学が急速に発展する中、
看護者もまた、科学的、合理的に病気の原因を発見し、治療、看護するようになる。
看護は祈りや宗教と離れ、
新たに発見された医学知識や技術に基づいて科学的合理主義な看護となる。
20世紀
先進国においては、心の病や生活習慣病などが増加し始め、
生物学医学モデルのみによるアプローチには陰りが見え始める。
Engel(1977)は、医療が生物医学モデルに過度に依存している状況を批判し、
生物心理社会モデル(Bio-psycho-social model)を提唱した。
彼は、心理・社会的な要素を取り入れ、
生物学的な知見を補いながら実践される医療の必要を訴えた。
そして、心を持った社会的存在として人間を全人的・全体的(ホリスティック)な
視点から考える心身医学が広がる。
WHOを舞台にする議論では、スピリチュアリティをとらえる時、
「(古くて)新しい」要素を取り入れた、Bio+Psycho+Social+Spiritual
という捉える枠組みではなく、
諸要素の複合的な絡み合いをホリスティックに受け止める姿勢が求められている
近年
つまり近年、
医学の広がりは、スピリチュアリティとは、このような新たな人間観の方向性を指している。
ホリスティック医学とは、人間を心と体だけではなく、
スピリチュアルな存在として診るという西洋における医療哲学を意味している。
生命とは内なる生命場のエネルギーつまり、
刻々と変化する生命の場の状態が脳細胞を通して外部に表現されたものが精神、
場の特殊な状態が身体である。
上記でも述べてきたように、
従来の近代西洋医学が病気の原因を診察や検査によって明らかにして治療する
「医学的モデル」を中心としているのに対し、
ホリスティック医療は「成長モデル」という視点を併せて診察する。
つまり病気も「人生の物語(ナラティブ)」の1つの出来事ととらえ、
病を乗り越えていく経験からなんらかの気づきを得る事により、
人生における自己実現や生きがいにつなげていこうとする。
医学モデルによる「治療」は、病気の原因、症状を抑制し、
異常な部位を除去するいわば対症療法である。
一方、ナラティブな視点においては、
同時に治療者自身の物語も重視される。
そして、クライエントとの関わりの中で自分自身も成長が促されると考える。
ここではケアが重要となり、医療者の役割はクライエントが自ら治る為に力づけるという存在である。
以上、西洋医学の人間像の変容を基にスピリチュアルケアの流れを追ってきた。
まとめ~現代のホリスティック医学の流れ~
このような流れから機械論的医学モデルからの批判が、
人間を全体的な営みから捉えようとする動きにつながっていることが分かる。
そして、人をホリスティックに捉えようとする際の基本的な姿勢は、
要素に還元しきれない全体性を認めるところにある。
同様に、スピリチュアリティも分析的に表現しきれないものとして認める必要がある。
つまりケアに最も相応しいのは、そのスピリチュアリティを共有する人である。
このような現代のホリスティック医学の流れは、
科学性を除外、否定しているのではなく、
科学的視点のみで人間を捉えるのではないという意味である。
西洋医学は、人間の部分を観ることに長けてきた。
しかし、部分と部分との目に見えない間のつながりを、
観る視点の欠落が全人的な人間理解の限界に陥る。
こんな感じで問題提起して書いていくと面白いです。
今回は個人的な趣味で調べたことをレポートっぽく書いてみました。
補足~近代看護~
近代看護がナイチンゲール方式の導入により確立され、
看護は医療の発展とともに著しい進歩をとげた。
看護は、臨床看護から公衆衛生をも含む広範囲なものとなり、
科学的根拠に基づいた看護を提供する専門職として独立していく。
その後医学は、ケア対象者を生物学という科学的対象として疾患の治癒を目指し、
臓器・細胞・遺伝子等をターゲットとして目覚ましい進歩を遂げ、
看護もその影響を強く受けることになる。
そして今日の看護は、
あまりにも合理的で科学的根拠に基づく医学的知識に偏った看護を追及してきたことにより、
再びスピリチュアルな側面が見直されようとしている。
特にがん看護、ホスピスの問題が関心をひくようになった後、
日本における仏教看護やスピリチュアルケアについて、その関心が高まってきている。
次回は近代看護とこれからの看護を絡めて書いてみようと思います。
堅苦しい表現が多く、
読みずらかったと思いますが、レポート作成に使える表現が
沢山あると思いますので、看護学士の長文作成で困っている方は
「論文ぽく書く」を目指して
頑張ってみてください。
看護学士取得でレポート作成に困っている方は、
個別相談ページ→こちらでお申込みください。
誰かの参考になれば幸いです。