大切な人を見送るということ①
大切な人を見送るということ
「人生の最後は、自分らしく過ごしたい。」
そう願う人はたくさんいます。
でも現実には、約70%の人が自分の意思を伝えることができないまま亡くなっていきます。
では、そんなときに家族や私たちができることは何でしょうか?
看取りの現場で感じる葛藤
家族にとって、大切な人の最期を見守る時間は特別なものです。
でも、病院や介護の現場では理想通りのケアが難しいことがあります。
人手不足や忙しい日常に追われ、医療や介護に携わる人たちも
「もっとこうしてあげたかった」と悩むことが少なくありません。
「大切な人のために最善を尽くしたい。」
その思いは誰もが持っています。それでも、完璧な看取りなんて存在しないのです。
「急変」ではないかもしれないと考える
たとえば、病気が進んで体の力がどんどん弱くなっている方に、AEDや心臓マッサージなどの処置を行っても、
回復することはほとんどありません。それどころか、こうした処置が患者さんにとって新たな苦しみになる場合もあります。
そんなとき、静かに寄り添い、その人らしい最期を見守るという選択肢があります。
それは何もしないということではありません。
穏やかな時間を作り、一緒に過ごすことも立派なケアです。
「看取り」を誤解してしまうこともある
ある癌の高齢の男性が、「延命治療はしない」という意思を示し、
家族と最後の時間を過ごすために病院を出て在宅型施設へ移ることを選びました。
末期の癌で余命が長くないと説明を受け、穏やかで静かな最期を望んでいたのです。
しかし、担当のケアマネージャーから「急変時にはAEDや心臓マッサージをしてほしい」
という希望が出されました。こうしたケースは珍しくありません。
病気が進んで体の状態が徐々に悪くなることを「急変」と捉えてしまい、救急処置を求めてしまうのです。
でも、その処置が本当に患者さんのためになるのでしょうか?
後悔を少しでも減らすために
看取りの現場では、家族や医療従事者も
「もっと早く相談していれば」「こうしていればよかった」
と後悔することがあります。
でも、完璧な答えを探す必要はありません。
大事なのは、その瞬間にできる限りのことを考え、大切な人の気持ちに寄り添うことです。
「見守る」ことの意味
看取りはただ「見送る」だけではありません。
その人が安心して旅立てるように、そばで支え、穏やかな時間を共に過ごすこと。
それが本当の「見守る」ことであり、私たちが大切な人のためにできる最大のことではないでしょうか。
最後に
看取りの場面は、どんな人にとっても迷いや不安がつきものです。
でも、一番大事なのは「その人らしい最期」を支えるという思いです。
その処置が患者さんの望むことなのか、
そしてそれが本当に患者さんのためになるのか。
そんなことを考え直す機会を持つことが大切です。
患者さんが穏やかに旅立てる時間を作ること。
それが本当の「看取り」なのではないでしょうか。
これから旅立つ前の症状や看取りの方法など具体的に書いていこうと思います